一 向 庵

医薬品の遺伝毒性試験の黎明期

その3 AF-2 物語

元 武田薬品工業株式会社中央研究所(理学博士)菊池 康基

【第2回JEMS研究発表会】
 1973年9月、JEMS の第2回研究発表会が三島の遺伝研で開催された。プログラムを見てびっくり。演題数は全部で17題だったが、後半の7題がAF-2関連で占められていたのである。特定の化合物にこれだけ集中するのは珍しかった。昼食休憩のときの挨拶で、賀田恒夫先生が「今日の弁当をどうするか大いに迷った。通常の幕の内弁当には、おそらくAF-2が使用されている。本日、これだけ多くの発表でAF-2の陽性結果が報告されているのに、AF-2の入った食事を提供する訳にはいかない。そこで、握り寿司弁当にしたので御了解願いたい」との主旨であった。
この時のAF-2関係の発表をまとめてみると、陽性結果は、(1)枯草菌レックアッセイ(rec assay)(2)大腸菌WP2hcr-株の変異誘発性試験、(3)培養細胞での染色体異常試験等で報告された。一方、サルモネラ菌のAmes 鰍ナの復帰変異試験では陰性であった。また、カイコ、の試験では明瞭な陽性結果はなかったと記憶している。
我々は開発中の新薬(睡眠導入剤)の染色体異常試験の陰性結果を報告したが、それが何か場違いのような気にさせられるくらい、何か異様な雰囲気に包まれた研究発表会であった。なお、われわれのこの発表データは論文にまとめ1)、その後に発売された際の添付文書に引用された。遺伝毒性の結果が新薬の添付文書に記載されたのはこれが初めてとなった。
なお、第3回JEMSでは発表23題中11題がAF-2関連の発表であった。

【AF-2とは】
 AF-2 [furylfuramide, (Z)-2-(2-furyl)-3-(5-nitro-2-furyl)prop-2-enamide]とは、1960年代より食品保存料として使用されていた食品添加物である2)(製造販売:上野製薬)。わが国では戦後間もない頃よりニトロフラン系保存料の食品への使用が許可されていたが、1965年にAF-2はより安全性が高く効果も高い保存料として厚生省によって指定された。保存剤としての用途は広く、魚肉ハム、魚肉ソーセージ、食肉ハム、食肉ソーセージ、ベーコン、魚肉練製品、豆腐(豆汁)、あん等に使用が認められていた。この頃のAF-2を取り巻く社会情勢について簡単に触れておく。当時は各種食品添加物の安全性が指摘され始めた頃であり、AF-2についても保存剤としての使用が広範囲にわたることから、安全性についての議論が社会問題化しつつあった。
 なお、AF-2についてさらに詳しくお知りになりたい方は、文献2)あるいはwikipediaを参照されたい。

【AF-2の遺伝毒性試験に与えたインパクト】
 1971年、東京医科歯科大の外村晶教授と佐々木正夫助教授は、AF-2が培養ヒトリンパ球に染色体切断や転座を誘発することを最初に発見した。外村教授は、食品添加物の染色体異常誘発性についてのスクリーニング試験を開始したところであった。その頃、外村研究室を訪問した時に、「君も変異原研究を始めたのだから、面白いものを見せてあげよう」と言われて、AF-2で処理した標本を顕微鏡で見せていただき、「食品添加物でこんなに染色体異常が起こるなんて」と驚いた記憶がある。外村教授はAF-2の実験結果を、田島研究班で報告され、班員の先生方や研究機関によるAF-2の追認試験が開始された。その結果が第2回JEMSでの集中発表となったわけである。その間の経緯は田島先生の著書に書かれている3)。その後も数年間、JEMSではAF-2に関する発表は多かった。1975年第4回JEMSの公開シンポジウム「環境変異原と人類の健康」の中で近藤宗平先生が「AF-2物語」と題して、これまでの研究結果を総括された。AF-2の遺伝毒性に関する代表的な論文としては、遺伝学雑誌に掲載された外村ら、近藤ら及び賀田らの3論文が挙げられる4-6)。
 AF-2の遺伝毒性試験にまつわるエピソードを以下に紹介する。

  1. Prof. Ames がAmes test用に最初に開発したサルモネラ菌TA1535、TA1537、TA1538ではAF-2は陰性となり、これにショックを受けたProf. Amesは、より高感度の新菌株 TA97, TA98, TA100 を開発し、AF-2の検出が可能となった。
  2. AF-2は遺伝毒性試験に強烈なインパクトをもたらした。医薬品等の毒性の一つとして、未確立の変異原性試験が、これを機に一気に広まったことは事実である。JEMSにとっても、設立後、日も浅く会員数も伸び悩んでいた時でもあり、AF-2 さまさまといったところであった。また、Ames株の改良に代表されるように、試験系の開発・改良・普及も積極的にされるようになった。
  3. 外村晶教授、近藤宗平教授(阪大)、賀田恒夫部長(遺伝研)は、いずれも一流の研究者であり、純粋に学問的観点からAF-2を研究されていた。そのことは、当時先生方と親しくお話をする度に痛感した。AF-2を禁止すべきかどうかについては、様々な意見があり、激論が交わされたこともしばしばであった。
  4. AF-2にとって不幸だったことは、すでに述べたように、化学物質による突然変異誘発性に関する組織的研究が開始された直後に変異原性が検出されたことであった。上記の先生方も含め、研究者の変異原性試験の経験も浅く、データの蓄積も十分でなかった。そのため、陽性・陰性結果の評価、in vivoとin vitro系の違いに関する認識も低くかった。毒性分野での新参者の変異原性試験の存在意義を、意識的にあるいは無意識的にでも強調するあまり、陽性結果だけが独り歩きする結果となったことは否めない。
  5. AF-2は、他の毒性試験ではさしたる問題は見当たらず、安全な添加物とされていた。変異原性試験で陽性結果が出ただけでは発売認可取消し処分ができないために、大量投与の癌原性試験が行われたのであろう。国立衛生試験所で実施した結果、マウスでがんを作ることに成功した3)。その投与量は当時としては極めて高い用量であり、この結果を受け、AF-2は葬り去られた。
     この発癌性試験については、科学的根拠よりも行政的な目的をもった用量設定であり、political experiment の典型と、感じた人も多かったようである。
  6. 自分自身のことを振り返ってみると、変異原性試験に着手して間もなくin vitro positive について疑問を持つようになったが、その意味を深く考えだしたのはAF-2の各種変異原性試験における成績を数多く知るようになってからであった。
     われわれの研究室でも、AF-2はAmes test の陽性対照としてルーチンに使用するようになったので、試験従事者の安全面からその挙動をチェックする必要が生じた。その結果、AF-2はin vitro 培養細胞の系ではヒトリンパ球、チャイニーズハムスター、マウスの細胞で染色体異常を誘発し陽性、in vivo 系ではマウス骨髄細胞染色体やマウス小核試験で陰性であることを確認した。

【AF-2に関するまとめ】
 1970年代以降の日本の変異原研究、遺伝毒性試験の発展を語る時、AF-2抜きでは語れない。
 1)誕生まもない日本環境変異原学会の基礎固めに貢献した。
 2)Ames test 用菌株改良の直接要因となった。
 3)各種遺伝毒性試験法の開発・改良・発展への間接的に寄与した。
 4)食品添加物、医薬品等のガイドラインの整備を促した。
 5)遺伝毒性試験データの評価の見直し(現在に続く課題も含め)を促した。
  ○In vitro 陽性の意味するもの、特に in vitro 染色体異常試験陽性とは?
  ○遺伝毒性試験と癌原性試験との関係の見直し
  ○Somatic mutation と Germinal (heritable) mutation
  ○Risk (hazard) identification, risk evaluation, risk management等

文献

1)

菊池康基, 一ツ町晋也, 錫木三恵子 1973. 8-Chloro-6-phenyl-4H-s-triazolo[4,3-a][1,4]
benzodiazepine (D-40TA)のマウスおよびラットにおける細胞遺伝学的研究. 武田研究所報, 32:56-61..
2) 二十世紀食品添加物史, 2010. 社団法人日本食品衛生協会
3) 田島彌太郎. 1981.「環境は遺伝にどう影響するか」ダイヤモンド社
4) Tonomura, A. et al., 1973. Japanese Journal of Genetics, 48, 291.
5) Kondo, S. et al., 1973. Japanese Journal of Genetics, 48, 295.
6) Kada, T. et al., 1973. Japanese Journal of Genetics, 48, 301.

(次回に続く)

医薬品の遺伝毒性試験の黎明期

第1回(その1 武田薬品時代)
第2回(その2 環境変異原研究会設立の頃)
第3回(その3 AF-2 物語)
第4回(その4 製薬企業の対応)
最終回(付記  JEMSよもやま話)

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