一 向 庵

医薬品の遺伝毒性試験の黎明期

その2 環境変異原研究会設立の頃

元 武田薬品工業株式会社中央研究所(理学博士)菊池 康基

【JEMS設立に至るまで】
 アルキル化剤など、ある種の化学物質が突然変異を起こすことは、かなり古くから知られていた。それが化学物質全体について、評価の対象とすべきではないかといわれるようになったのは1960年代に入ってからのことである。同年代の終わり頃、遺伝研の田島彌太郎先生(後の遺伝研所長)は長年の放射線遺伝学のご研究から、化学物質による突然変異誘発性について強い危惧を持たれるようになった。田島先生の形質遺伝部と人類遺伝部は同じフロアの隣同士だったので、遺伝研在職中は先生から種々お話を伺う機会も多かった。1968年東京で開かれた第12回国際遺伝学会議では、組織委員会の総務委員として、田島先生の下でプログラムを担当したこともあった。
 田島先生は、この国際会議で環境化学物質の突然変異誘発性が話題になったこと、さらに、米国にEMSが設立(1969)されたことを知らされ、わが国でも化学物質の突然変異誘発性について、組織的な研究体制構築の必要性を痛感された。1970年には文部省特別研究班(通称田島班)を組織され、化学物質による突然変異誘発性に関する組織的な研究をスタートされていた。私は武田薬品に移ったばかりであったが、田島班の会合には度々出席させていただいた。1971年春の会議でマウス優性致死試験の結果を報告した時のこと、田島先生が「君はもうそんな研究をしているのか」と驚かれた記憶がある。というのは、田島班での報告の多くは、大腸菌や酵母による突然変異、培養細胞による染色体異常などの in vitro 試験か、in vivo試験ではショウジョウバエやカイコ、あるいは植物での試験などで、哺乳類のin vivo試験は土川先生(遺伝研)と私だけだったからである。

【JEMS設立総会】
 この田島班が母体となって、1972年10月に東京虎ノ門の教育会館において、日本環境変異原研究会(Japanese Environmental Mutagen Society, 略称:JEMS、後の学会)の設立総会が「第1回環境変異原研究会講演会」の名称で開催された。このときのプログラムをお示しする1)。この総会には武田から梶原先生も総会講演の一人として招かれ、私の実験データを基に、医薬品の特殊毒性としての変異原性試験について講演された。

 第1回環境変異原研究会講演会(昭和47年8月21日、国立教育会館)
挨拶 世話人代表 田島彌太郎(遺伝研)
山口彦之(東大・放射線遺伝):抗生物質による植物の染色体異常
吉田俊秀,白石行正(遺伝研):カドミウムによるヒトの染色体異常
岩原繁雄(衛生試):食品関連物質の細胞に対する突然変異誘起作用について
F. J. de Serres(NIEHS): Mutation-induction in radiation sensitive strains of Neurospora crassa. 
近藤宗平(阪大医):突然変異の分子的機構
鈴木武夫(公衆衛生院):人間環境における有害物質
賀田恒夫(遺伝研):Chemical mutagenesis の理論から見た化学変異原のスクリーニング法
白須泰彦(残留農薬研):農薬の毒性問題
遠藤英也(九大癌研):化学発癌と突然変異
斉藤 守(東大医科研):環境における天然発癌物質の役割
柳沢文徳(東京医歯大):アルキルベンゼンスルフォネートの催奇形性に関する考察
梶原 彊(武田薬品):“突然変異試験”と催奇形性
村上氏広(愛知発達障害研):Teratogen, Mutagen および Carcinogen の相互作用
W. W. Nichols and R. C. Miller (I. M. R., Camden): Anaphase as a cytogenetic method in mutagenisity testing.

【試験法の研修会】
 こうして、日本にも田島彌太郎先生を会長とするJEMSが誕生し、変異原性に関する学会活動が始まった。翌年の1973年5月にはJEMSと野村総合研究所の共催で、「薬物の突然変異検出法についての研修会」が開催され、私も講師の一人として優性致死法や宿主経由法の講義や実技を担当した。当時、このような実技を伴った研修会は世界的に見ても珍しく、田島先生をはじめJEMS執行部の諸先生が変異原性試験の普及と試験手技のレベルアップにいかに熱心であったかを物語っていた。
同年秋には、JEMS の第2回研究発表会が三島の遺伝研で開催された。その模様は、「その3」で述べることとする。

【変異原性に関するWHOの報告書】
 ここで、この頃の医薬品に関する海外の動向について、簡単に触れておく。農薬、食品添加物、医薬品等の人類に対する遺伝的影響が懸念される中、WHO科学グループの技術報告書(1971)2)では、医薬品の突然変異誘発性に関し、評価(evaluation)と試験(testing)を区別すると共に、結果の解釈(interpretation)について、特にrisk/benefit assessment を取り上げた総合的な勧告となっていた。試験方法については、原則として哺乳動物を用いることとしているが、特定の方法は示さず、暫定的に優性致死試験、in vivo細胞遺伝学的試験、宿主経由試験等が示唆されていた。なお、この報告書の要約は文献3)に記載されているので、興味のある方は参照されたい。また、1970年には米国FDAからも医薬品についての勧告が提出されていた。

【研究動向の推移】
 JEMS 発足当初は、田島先生はじめ、遺伝研の賀田恒夫、土川清、黒田行昭の諸先生、近藤宗平阪大教授、外村晶東医歯大教授、さらに設立総会で講演された先生などが中心となって活動していた。その多くが遺伝学をベースとする研究者であった。田島先生の書かれた本によると、先生に届いた米国EMS設立通知状の添え書きには「人類の遺伝的健康を守るために・・・」と書いてあったそうで4)、米国でもin vivo系が重視され体細胞に起こる突然変異よりもむしろ生殖細胞に生じる突然変異を重要視していたようである。田島先生のこの著書の表紙には、Environment と Heredityの2字が配されており、田島先生も変異原研究に際しheritable mutation を念頭に置かれていたことがうかがえる。
 ある時、遺伝研での会合が終わったあと、賀田先生に呼び止められ、少し話をしようと研究室に案内された。他にも2、3名一緒だったが、それが誰であったか定かでない。話題は、これからの変異原研究の方向についてだった。いろいろ議論は弾んだが、ヒトでheritable mutation の結果としてどんなことが起こるだろうかの話題に移った。おそらく、遺伝性疾患や奇形児が目に見えて増加するようなことはないだろう。もし起こるとすれば、ヒトの生存にちょっとマイナスな形質が少しずつ増え、何世代かあとに気がつくと、人類全体の資質が低下してしまったり、出生率が低下してしまうというようなストリーではないか、といった議論を延々と夜遅くまで交わしたものである。この当時は誰もが、somatic mutation と heritable mutation の両者が化学物質によっても誘発されると思っていた。したがって、in vivoの試験は重要で、特に生殖細胞を指標とする dominant lethal test やショウジョウバエの伴性劣性致死試験(放射線の突然変異研究に汎用されていた)を化学物質でも実施すべきということでお開きになった。
 ところが1973年以降、AF-2の突然変異性の結果が報告され、これを受けてProf. Ames により検出感度の高い新菌株の作成が報告されるに及んで、癌原物質のスクリーニングとしてAmes test の有用性に、いち早く着目したのが国立がんセンターの杉村隆先生とその研究グループであった。Ames test と S9 Mixによる代謝活性化法が組み合わされ、癌原物質の試験結果が次々と報告された。さらに、somatic mutationが癌化のinitiationであるという、多段階発癌説が出るに及んで、発癌研究に携わる医学、薬学、生化学分野の研究者がJEMSに参加されるようになり、遺伝毒性研究の方向性は大きくシフトしていった。
 一方、heritable mutationは、ごく限られた特定の化合物しか検出されず、somatic mutation のようには誘発されないことが次第に明らかになってきた。生殖細胞を標的とするこれらの試験は、実験規模も大きく専門の知識を必要とすることから、1990年以降は殆ど実施されなくなって、今日に至っている。1988年5月のJEMS 公開シンポジウムで私がオルガナイザーとして、「環境変異原による遺伝的障害を考える ―ショウジョウバエからヒトまで―」を企画したが、heritable mutation について学会が公的に取り上げたのはこれが最後であろう。

【企業研究の立場】
 このような研究動向の変遷があっても、製薬会社に籍を置く者としては、「遺伝毒性試験とは、あくまでも生体で遺伝子に傷害を与えたり遺伝子突然変異を起こしたり、染色体に傷害を与えるような毒性を評価する試験である。そのための試験方法の開発や、遺伝毒性を評価するための試験の組み合わせを考えることが我々に課せられた任務であり責任である」というモットーを守ることが大切と考えていた。その上で、学会の場での研究活動をいかに展開していくかが問われることになる。JEMSへの参加企業は、まだ少なかったが、企業研究者との連携をどのように構築していったかについては、「その4」で述べることにする。

文献

1) 第1回環境変異原研究会講演会,プログラム・講演要旨. 08. 21. 1972.
2) WHO Scientific Group (1971). WHO Technical Report Series, No.428.
3) 菊池康基, 阿久津貞夫, 千谷陽一, 小林富士男, 近藤専治, 牧司, 宮内照雄, 森剛彦, 森本宏一 (日本製薬工業協会・安全性委員会・基礎研究部会・第5チーム) 1977. 医薬品の遺伝毒性試験 〜現状部分析と暫定的試験法〜. 月刊薬事, 19:773-783, 931-949.
4) 田島彌太郎. 1981. 第9章 環境変異原.「環境は遺伝にどう影響するか」ダイヤモンド社

医薬品の遺伝毒性試験の黎明期

第1回(その1 武田薬品時代)
第2回(その2 環境変異原研究会設立の頃)
第3回(その3 AF-2 物語)
第4回(その4 製薬企業の対応)
最終回(付記  JEMSよもやま話)

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