一 向 庵

変異原性試験の発足の思い出

化学物質安全性評価コンサルタント(医学博士)石館 基

W. 変異原性、発がん性の機構の究明

 変異原性に関する研究成果は、わが国においても、がん学会のみならず、放射線影響学会、分子生化学会、薬理学会遺伝学会、薬学会、組織培養学会、毒科学会、動物実験代替法学会、染色体学会など、色々な分野で発表されるようになった。これは、変異原性試験が、行政上の安全性の問題のみならず、遺伝子にまつわる広い分野で有力な手段となり得た証拠である。
 例えば、解熱鎮痛剤フェナセチンには弱いながら発がん性が認められているが、通常のAmes試験では検出されにくい。しかし、ハムスターのS9を用いると、変異原性が発現される。ハムスターのミクロゾームには、ラットよりも数10倍も多い脱アセチル化酵素が存在しているからである。その代謝物には、Ames試験で直接的作用が認められた。
 また、合成女性ホルモン剤ジエチルスチルベステロール(DES)は、女性の膣癌が発生すると言われているが、Ames試験にはかからない。しかし、培養細胞に処理すると、極めて低い濃度で、コルヒチンと同様な染色体数的異常を誘発する。もっとも、このような数的異常ががんの発生とどのように結び付くのかについては未だ分かっていない。もしも、数的な異常が精子や卵子に起こったばあいには、遺伝病や催奇形性につながる危険性がある。
 農薬を例にとると、シマジンあるいはシメトリンには変異原性はないが、これらのニトロソ化合物を合成すると強い変異原性が現れる。即ち、変異原性の是非はその物質の代謝如何によるとともに、化学構造の活性ラジカルに強く依存している。
 また、発がん性物質には、臓器特異性がある。マウス小核試験は骨髄細胞(抹消血を含む)を対象としている。従って、肝臓を標的としているジメチルニトロサミン(DMN)などはこの試験では捕まらない。肝臓を用いる小核試験あるいはUDS試験が有効であろう。更に、発がん性との相関性を見るために、in vivo 試験として、特定な遺伝子を生殖細胞に組み込んだ種々のトランスジェニックマウスが開発されたてきた。臓器別に遺伝子突然変異の有無を見極めることが出来る。2,3匹の動物で済む利点はあるが、動物の開発にかなりの経費がかかる。
 一方、発がん性物質の中には、変異原性を示さない物質(non-genotoxic carcinogen)も含まれている。乳腺腫瘍を発生するレセルビン、白血病を起こすベンゼンなどがある。また、ホルモン剤もその部類に入るであろう。これらは、発がんの過程で、引き金役(イニシエーター)とならなくとも、発生を助長する役(プロモーター)として働いている可能性がある。このような物質を検出するためには、現行の変異原性試験は適用出来ない。細胞の形質変換試験(cell transformation assay)、代謝共同抑制試験(metabolic cooperation inhibition test)なども有効な手段であるが、手法は必ずしも確立されてはいない。プロモーターには細胞分裂を促進する性質がある可能性もある。最近、in vivoの多臓器中期発がん試験なども適用されているが、紙面上の都合でその詳細については割愛する。
 変異原性試験はまた、抗変異原性物質(anti-mutagen)を検出するために利用されている。
抗変異原性は発がん性の予防につながる重要な研究分野である。緑茶の成分、抗酸化剤の開発など、今後の研究に期待したい。

X. 変異原性試験の結果の評価

 現行のAmes試験、染色体試験、およびマウス小核試験の結果を定性的に比較すると、表1のようになろう。海外では、in vitro 試験で陽性となったものをin vitro-mutagenと呼ぶ場合もあるが、in vitro およびin vivo 試験の結果を総合して、変異原性を論ずるべきだと思う。

表1 変異原試験結果の評価

 

 
In vitro
――――――
Ames 染色体
In vivo
――――
小核
暫定的評価
T 変異原性なし
U


 
変異原性極めて弱い
V


 
変異原性はあるが、他の追加試験が必要
W 発がん性も疑われる

 同じ試験系でも試験計画書(プロトコール)が異なれば、結果も変わってくる。わが国においては、各種の試験について、詳細な操作手順が統一されているため、同じ試験で、色々な化合物の陽性結果を定性的のみならず、定量的に比較検討することが出来る。例えば、Ames試験で陽性となった化合物については、誘発変異コロニー数/mg被験物質によって活性値を比較することが出来る。その例を下記の表2に示す。発がん性物質で見られる活性と、食品添加物などの活性の弱いものとの間の差は一目瞭然である。

表2 Ames試験における活性値による比較例

Chemicals Tested Test strain S9mix Revertants
(No./mg)
Carcinogens      
MeIQ
1,8-DNP
IQ
AF-2
Trp-p-1
Afratox'n B1
4-NQO
MNNG
B(a)P
2-AAF
MNU
TA98
TA98
TA98
TA100
TA98
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100










661000×103
488200×103
433000×103
42000×103
39000×103
28000×103
9900×103
1300×103
660×103
30×103
20×103
Food additives      
Cinnamic aldehyde
Hydrogen peroxide
Carcium hypochlorite
Chlorine deoxide
Sodium chlorite
L-Cysteine monohydrochloride
Sodium nitrite
Sodium hypochlorite
Potassium bromate
Fast Green FCF
Erythorbic acid
Beet Red
Cacaopigment
Caramel
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA100
TA1537
TA100













1790
535
491
428
293
291
47
46
44
35
4
3
3
2

 一方、染色体異常試験では、構造異常の誘発性の強さを、「D20値」で表現している。即ち、被験物質によって細胞(中期分裂)の20%に異常を誘発した時の計算値を最少用量(mg/mL単位)で表す。Ames試験と同様、活性の高いものと低いものとの間には被験物質によって約100万倍もの開きがあることが分かった。ちなみに、最も活性の高いものは、ピーナツ、穀類などに付くカビの生産物アフラトキシン注)である。肝臓がんの恐れがあるので、古いピーナツは避けるべきであろう。
 活性の弱いものには、インスタントコーヒーなども含まれる。しかし、以前、国立がんセンターにおられた河内卓先生の計算によると、人にがんを発生させるには、一日60杯のコーヒーを飲まなければならないという。また、学会で、ウイスキーにも変異原性がある、と発表された時、出席していた生産者がいきり立って抗議したことを思い出す。醤油も同じこと、恐らく焦げの成分が加われば、弱いながら変異原性が現われて来る。従って、定性的な表現を用いるならば、我々の日用食品中には、多くの変異原が含まれていることになって我々は何も食べられなくなってしまう。問題はその量である。がんセンターで作成したがん予防12か条の項目に、同じものを繰り返し食べない、カビの生えたものは食べない、という項目があったことを思い出す。問題は、その物質が食品中あるいは環境中にどの位含まれているかであろう。参考までに、前記したヘテロサイクリックアミンの食品中の実際の量について、国立がんセンターの若林敬二先生が定量した結果を表3に示す。

注)アフラトキシンB
 当初は古いピーナッツに発生したカビの毒性成分として検出されたが、現在では他のまめ類、穀類、チーズ、粉乳、ハム、ベーコン等にも発生するカビとして知られている。主に肝臓がんを誘発する。

表3 加熱食品中のヘテロサイクリックアミン類の含量

食品材料 含量(mg/g 加熱食品)
MeIQX PhIP Trp-P-1 Trp-P-2
焼いた牛肉 2.11 15.7 0.21 0.25
ハンバーグ 0.64 0.56 0.19 0.21
焼いた鶏肉 2.33 38.1 0.12 0.18
焼いた羊肉 1.01 42.5 - 0.15
牛肉エキス 3.10 3.62 - -
鯵のフライ 6.44 69.2 - -
(若林ら、1994)

 さて、被験物質について、ある特定な試験、例えばAmes試験だけで評価することは危険である。前記した如く、in vitro およびin vivo の試験結果から総合的にかつ、定量的に行うべきものである。必要に応じて、遺伝学的指標の異なった試験系を追加する。そして、他の動物試験の成績を加味した上で、人への安全性の評価をして行かねばならない。
 近年、食品とも薬品ともつかない、いわゆるサプリメントの開発が盛んに行われるようになった。その多くは天然由来である。しかし、天然であるから安全であるとは言えない。天然物の中にも色々な活性を示すものが含まれている。例えば、アルカロイド、フラボノイド、酵素類あるいは天然色素など、DNAに損傷を及ぼさないことを、生産者自らが実証すべきであろう。最近の学会では、変異原性の閾値の有無に関する議論もあった。化学物質の場合には、放射線などとは異なり、生体内の代謝機能も備わっているため、微量では変異原性が現われないため、結論を出すのは困難と思われる。
 国のガイドラインに記載されていない試験は実施する必要がない、という考え方は、日本人に有り勝ちである。しかし、今はそういう時代ではない。生産者自らが、変異原性試験の役割をよく理解し、必要に応じて、追加すべき試験を選択する能力を養成しておく必要があろう。安全性を確保し、社会的な信用を得ることこそ、これからの企業の姿勢ではないかと思う。

第1回(はじめに、I. 試験法開発の時代)
第2回(II. 試験法ガイドラインの確立、III. 環境変異原の検出)

※一向庵寄庵者の紹介
 石館 基(いしだて もとい)
  • 昭和5年12月25日生。
  • 昭和31年東北大学理学部卒。
  • 元国立医薬品食品衛生研究所(前国立衛生試験所)変異遺伝部長。
  • 日本環境変異原学会、日本癌学会、中央労働災害協会名誉会員。
  • 望月喜多司記念功労賞授与(平成11年)。
  • 瑞宝双光章受勲(平成15年)。
  • わが国における環境化学物質の安全性評価のためのガイドライン作成、特に染色体異常試験を中心とした変異原性データの集積・編纂に多大な功績を残されている。
  • 現在、化学物質安全性評価コンサルタント。
  • 変異原性試験データ集のホームページ「the MUTANTS」の公表。
    http://members.jcom.home.ne.jp/mo-ishidate/
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